一年
今日は5月28日。
昨年のこの日の17時45分ごろ、カンタロウが召されました。
早いものです。
未だにカンタロウを抱っこしたときの背中の匂いや
鳴き声、脚をなでたときの感触、背中をかいてやった
時の嬉しそうな後姿・・・子猫時代、私の座る椅子の下で
座っていた姿、震災の日に、ベッドの上からダッシュで
下へ隠れた姿・・・たくさんの我が家の想い出とともに
カンタロウはいました。
このブログを始めた最初の記事がカンタロウでした。
440グラムで真夏の暑い日に我が家にやってきたカンタロウ。
今思えば、生後一ヶ月くらいたっていたのではないかなぁと。
すると、私の誕生日近くだったのでは、とも。
であれば、満17歳だったということになります。
仕事のスケジュールを決めるのも、
何もかも、カンタロウを中心にしていました。
子猫のときは、デジカメもなく、普通の写真でした。
もっと整理すると、きっともっとたくさんの写真が出てくるはずです。
今もそこにいるような、いえ、もう天国で自由になった脚で
走り回っているかもしれませんね。
12歳くらいまでは、階段もものともせず、行ったり来たり、不自由な
脚をかばう前足で、水を飲みに降りたり、餌を食べに降りたりして
いたものでした。
今思えば、それも運動になっていて上半身が丈夫
になったのかもしれませんが、もっと楽にしてやれたのではないかとも思ったり。
病気になってから、カンタロウの排尿のために、仕事先まで
車でドライブするという経験もしました。
それまでは家から出たこともなかったのですが、
年をとってからよく外出した猫さんでもありました。
あの日、5時に仕事が終わり、事務所でメールチェックなどを
していたのですが、今思えば、すぐに家に上がれば・・などなど。
思うことはたくさんあります。
失ったときは、いつもこうして、何かしらの後悔は残るものですね。
カンタロウにとって、治療に通ったことが良かったのか、
その間隔や長さはどうだったのか、当時から悩みつつ決めたこと
ではありましたが、それらもひとつの選択の結果なので、他の選択
の結果は分かりません。
人間の家族も同じですね。
ただ、カンタロウには、感謝しかありません。
家に来てくれて、ありがとう。
私たちの歴史にとって欠かせない大切な家族。
次の世には、走り回れるように。
もしかしたら、人間になるのかな?
私が猫なら、拾ってくださいね、カンタロウさん。(^^;
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