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2006.11.21

Little Tree

061121
もうかれこれ10年以上前に読んだ「Little Tree」(リトルトリー・フォレスト・カーター著・めるくまーる刊)は、私の好きな本の一冊で、今でも時折思い出して手に取ります。昨日の記事もですが、思うことがあってもう一度開いてみました。

チェロキーの祖父母に引き取られたlittletreeは、その生活の中で様々なことを学ぶのですが、その精神性と自然との共生の姿勢には、優しさと厳粛な姿があります。この中に80歳代のインディアン・ウィロー・ジョーンという男性が登場します。この人の最期の場面が強く心に残っています。

「ウィロー・ジョーンは顔を西に向けた。眼路はるか、いくえにも重なるけわしい山と深い谷をへだてたネーションの方向に目を向けたのだった。祖父は小屋に戻り、ウィロー・ジョーンの長いナイフを持ってきて、それを手に握らせた。ウィロー・ジョーンはナイフを持ち上げ、刃先をねじくれた老木の方に向けた。『わしが死んだら、あそこに、彼女のそばに埋めてくれ。彼女はたくさんの子どもをつくり、わしにたきぎを恵み、暖めてくれた。わしをずっとかくまってもくれた。あそこへわしを埋めるのはいいことじゃろうよ。食べものがあれば、彼女はもう二冬は生き延びられるじゃろ』」(中略)
「ぼくはウィロー・ジョーンに話しかけた。『きっと風邪だよ。おばあちゃんが言ってたけど、すごく流行っているんだって。ぼくたちが看病してあげるよ。歩けるようになったら家へ行こうよ。歩けるようにさえなればいいんだ。絶対だいじょうぶだよ』 ウィロー・ジョーンは笑ってぼくの手を強く握った。『おまえはいい心を持っているなぁ、littletree。じゃがな、わしはとどまっているわけにはいかんのじゃよ。もう行きたいんじゃ。いつかおまえが来るのを待っとるよ』」

「全ての人工物は元々人間の脳にあったもの」というのは養老孟司さんの言葉です。
でも自然は人間の脳の外側にあったもの。人間の脳の中でだけ計画されたものには限界があるから、それだけで押し通すと、生き物としての人間の生き方も脳の中でだけ行わねばならなくなる・・そんな状態が今なのかもしれません。 そんなこんなを言いながら、毎日パンをかじって生きているのも人間。だから哀しくもあり、だから愛しくもある。過去でも未来でもない、今を生きていることが、最大の幸運・幸福であったことを忘れないようにしたい・・そう思います。

「しばし別離のときを延ばしてくれないだろうか、ウィロー・ジョーン?
ぼくのために。
ひとときでも長くこの岸にとどまってほしい。
そうすれば
別れの時をともに心静かに迎えられるだろう。
のちのちあなたを思い出すたびに
ぼくのせっかちな涙はなだめられ
胸に刻まれた悲しみもやわらげられるだろう。」Littletre

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コメント

おはようございます。
 この記事深く、心に響きました・・・・
今を生きていることが大切、なのですね。

投稿: みい | 2006.11.22 10:48

>今を生きていることが、最大の幸運・幸福であったことを忘れないようにしたい・・そう思います。

感謝ですよね。

昨夜裏のおうちの方のお通夜に出て、帰ってきた家人の話を思い出しました。
今を精一杯生きんと人生いつか終わると・・・・・

投稿: beso | 2006.11.22 11:10

★みいさん、
コメントありがとうございます。
いつも、明日、明日、と考えて日々を暮らしているような気がしますが、ほんとは今日だって、昨日の明日だったんですよね。それを忘れないように、と感じている今日この頃です。

★besoさん、
本当にそうですね。色々考える前に、とりあえず今を楽しんで、今一緒にいられることを、ですよね・・。

投稿: pixydust | 2006.11.22 16:03

 最近暗いニュースが多いですが、このようなお話を読むと心が和みますね。

投稿: shihoちゃん | 2006.11.22 18:52

★shihoちゃん、
ようこそ、お越しくださいました!(^^)
本当に、最近どうなっているのかと思うくらい、色々なニュースがありますね。でも、昨日は徳島で高い崖に取り残されたワンコを大勢の人間が一緒になって助けたニュースもあって、そういうのを見ると、世の中捨てたものでもないようにも思うし。人間の色々な面を見るようです。

投稿: pixydust | 2006.11.23 02:30

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