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2006.08.03

パパ・お父さん・親父

060803
今朝のテレビで、奈良の放火事件の父親の手記が報じられていました。その中で父子の会話がそのまま紹介され、父親は自分のことを「パパは」と語り、息子は「パパ」と呼んでいたことに対して、ある「熱血先生」と呼ばれる男性がコメントをしていました。「16歳の少年が父親をパパと呼んでいること自体が非常におかしい」と。
が・・こういう言い切りができるって、どういう根拠なのかと少し疑問でした。事件を起こした当事者には反論できない、つまり何を言われてもただ「私が悪かった」と応えざるを得ないということを考えても、このコメントは罪びとに石を投げつけるようなもののように感じられました。
人の呼び方は、その集団で立場の弱い人に合わせる傾向にあるという話を聴いたことがあります。つまり、家庭内で一番幼い孫から見て「おばあちゃん」であれば、たとえ息子でも母親を「おばあちゃん」と呼ぶというように。
この先生の家庭の中では、「お父さん・お母さん」という言葉は思春期以降使わないのかな?とも・・。
「パパ・ママ」という表現自体に抵抗のある人も多いのかもしれないけれど、幼児が最初に話すカタコトが「パパ」や「ママ」であって、そのままそれが呼び名になることも多く、この奈良の家庭にまだ幼い子がいたことから考えても、そのままみんなの共通語としてあった呼び方だったのではないのかなと感じるのです。「お父さん」の代わりに「パパ」と呼んでいただけなのだとしても、おかしいということなのでしょうか・・。
息子が父親のことを面と向かって「おやじ」と呼ぶのって、私の感覚では随分あとのような気がするのですが、それは地域や言葉の違いも大きく影響しているのかもしれないですね。それに照れくさくて「おやじ」と言うこと自体も少ないようにも感じます。だから「お父さん」⇒「おじいちゃん」と直接飛んでいく傾向も強いのかと。
もちろん、家で「お父さん」と呼んでいる人も、第三者の前ではそれこそ、「父」「父親」「おやじ」「おとん(関西の表現)」場合によっては「あいつ」とか(^^;、色々な呼び方があると思うのですよ。そこで「パパ」とか「お父さん」と呼べば、それは敬語の使い方の間違いであり、幼児語であると言われても仕方ないとは思います。
幼い子どもの頃の関係に戻って、もう一度父子の関係を結びなおすことを考えると、2人きりのときには「パパ」でいいじゃないですか、もっと成長できて、その言い方に照れが出るようになるまでは・・。と感じた私でした。
(写真はちょっと前に咲いていた芝桜です。季節外れですみません。最近写真を撮れなくて。)

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コメント

今日のプログ、とっても興味深い内容でした。
奈良の事件、こちらでも日本のニュースの中で
大変ショックな事として毎日報じられています。
(JSTVという日本のテレビ放送を受信しており)

『人の呼び方は、その集団で立場の弱い人に合わせる傾向にあるという話を聴いたことがあります。』の一文・・・。

我が家の場合であれば、娘の立場に合わせて、
パパ・ママと呼び合っている事がまさにそれに
該当しています。

そうですね、この呼び方だけで、何か事件が起き
た時に何かを断定するのはとても危険だなと改めて思いました。

勿論、だからといって正邪の判断に緩みが出てし
まうということではないのだけれど、人は往々に
して自分の持っているものさしでしか目の前の事
を計れない事があるように感じます。
私自身の戒めとしても思うのですが、だからこそ
何か起きたとき、その大小に拘らず、その事実を
見たい、見ようと思っています。
それでもメディアの力は大きいし、真実が何かを
分からなくできる強さもあります。それを踏まえ
て見る・聴く・感じることを大切にしたいと思え
てなりません。

投稿: hanahana0831 | 2006.08.04 15:17

pixydustさん、こんばんは!

>「16歳の少年が父親をパパと呼んでいること自体が非常におかしい」
こういうふうに、決めつけて批評する場面をテレビで目に、耳にすることは多いような気がします。
pixydustさんが書かれているように“当事者が反論できない”のに一方的に決めつけるようなこともありますよね。

特にテレビを見ていて思うのは、あれだけ色々チャンネルがあって色々な人が出てくるのに論点が一方に偏っていたり、流れてくる情報がどれも同じものであったり、時間をかけているかと思えば繰り返しばかりということも感じます。

東北で娘を川に突き落とし、隣家の子を殺してしまった母親についても、どこのチャンネルも同じことばかり繰り返して報道しているような気がしました。
あの犯人は生活保護を受けていると仄聞しましたが、「なぜ車を買って乗り回しているのだろう」「近くに親や、兄弟がいるが、役所は無条件で保護費を支給していたのだろうか」「ヒアリングをして娘さんがどんな境遇にいたのか気付かなかったのか」などテレビの画面を見ただけですぐに思ったのですが、そこいら辺って報道していたのだろうか?と思います。

色々評論家の先生が集まって、批評するのもいいかもしれませんが、普通に普通の人が見て「そこはどうなってんの?」と思うことについて報道してくれると良いと思うのですが・・・。

自分の良く知っていることが報道されたりすると、「全然事実と異なる、ちょっと取材すればすぐにわかるのに」と思うこともあります。

番組として野次馬的に面白ければいいのだ、という風潮も最近特に強く感じます。ボクシングの試合が見たいのに関係ないことを延々放送していた放送局が批判を受けていますが、ニュース番組にも同じようなことが言えるのかもしれません。

投稿: はっP | 2006.08.04 23:00

確かにメディアの力は大きい、その影響力の強さを思うと、昨今の報道のあり方に??を感じる人が多いでしょうね。
繰り返される同じ映像、コメント、見るの嫌になる時、ありますもの。

奈良の事件は、痛ましく心が重くなります。「ぱぱ」と呼び「パパが・・」と・・・心の通い合う関係に戻って、もう一度しっかりと向き合えばいいのです。願わくばもう少し早く、パパは、息子の心を解って欲しかったと思うだけですが・・・

呼び方なんて、人前と家庭内では、違って当たり前だし、歳とともに変わってくるものですよね。そして、その時期は人それぞれですよね。

投稿: みい | 2006.08.05 10:58

★hanahana0831さん、
こちらは今夜淀川・神戸・宝塚の花火大会です。ヨーロッパの花火とは、また趣が違うでしょうが、そちらではいかがでしょうか?
色々と辛いニュースが多い中で、コメントをすること自体は自分の考えを明確に表明するという決断が必要で、それはそれで良いのですが、その言い方自体にバランス感覚がないと、他の意見まで受け容れられなくなってしまうという・・難しさですね。仰るとおり、自分が見て、聴いたことを揺らぎなく判断できるようになれるといいですね。

★はっPさん、
確かに、ちょっと自分が知っていることなどについて、「えぇ?ちょっと違うでしょう?」と思うこともありますねぇ・・。情報の怖いところは、提供する側にすでに取捨選択があり、その見えない意図の方向へ流れていくということでしょうか。与えられる情報に偏りがあるのですから、正当な評価をすること自体が難しいというのか・・。疑う目と耳は持っておきたいな、と感じることも多いです。

★みいさん、
そう、我が家だって似たようなものです。
本当にこういう事件が起ると、それに対するコメントの仕方を見て、コメントした人の素顔が垣間見えるものですね・・。(^^;

投稿: pixydust | 2006.08.05 20:20

>パパ・お父さん・親父

pixydustの思ってる事を読ませてもらい、今我が家で子供達が自分の事をどう呼んでんのか気になってきました・・・・・・・・笑

改めて確認しますね。
また、外で親の事を語る時、どんな表現してるんかなぁ~~

投稿: beso | 2006.08.06 09:10

★besoさん、
そうですね、外ではどう呼んでいるんでしょうね?我が家の息子は、かなりな呼び方をしていそうです・・。(^^;

投稿: pixydust | 2006.08.06 18:40

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