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2006.08.13

痛み

今日のテレビ番組で捕鯨のことが話題になりました。
調査捕鯨に参加している獣医さんに対し、アメリカ人タレントさんは問いかけます。「鯨を殺すとき、心は痛まないのですか?」と。捕鯨の賛否は別として、この問いには哀しくなりました。

鯨に限らず、人間は他の生き物の命をもらって生きているわけで、それらが最初からパックされてスーパーに並んでいるわけでないことは、誰でもが分かっているはずです。たまたま私たちは、その生き物の命を絶つ仕事を担当していないだけです。「○○の命を食べるとき、心は痛まないのですか?」と問い返したら、このタレントさんは何と応えるのでしょう。

先の質問に、その獣医さんは静かに応えます。「それは、痛みますよ。」
たとえば、金子みすゞさんの「鯨法会」という詩のこころのようなものも、この獣医さんは受けとめた上で今の仕事をされているのだろう・・そう感じさせる問答でした。  

「鯨法会」  金子みすゞ060813_1

鯨法会は春のくれ、
海の飛魚 採れるころ。

濱のお寺で鳴る鐘が、
ゆれて水面を わたるとき、

村の漁師が羽織り着て、
濱のお寺へ いそぐとき、

沖の鯨の子がひとり、
その鳴る鐘を ききながら、

死んだ父さま、母さまを、
こひし、こひしと ないてます。

海のおもてを、鐘の音は、
海のどこまで、ひびくやら。

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コメント

pixydustさん、こんばんは!

>「○○の命を食べるとき、心は痛まないのですか?」と問い返したら、このタレントさんは何と応えるのでしょう。

きっと屁理屈を言って反論するのでしょうね。
「話をすり替えるな」とか言って・・・。
そんなことも考えることができないほど、想像力がないのだと思います。
捕鯨についての議論は別にするとして、日本人は鯨に関してはあらゆる部位を残さず食べたり、利用したり(たしか浄瑠璃の人形のしかけなどにも使われていたと記憶しています)していて、“命”を食べることに対する感謝については世界のどこの国にも負けないかもしれません。

そのタレントさんもそんなに命が大切で殺してはいかんと言うのなら、菜食主義になればいいのです(植物だって生きてるから食べちゃだめ?)。人間、肉や魚を食べなくても生きていけるのだからそうすればいいと言ってやりたいくらいですが。きっと牛肉なんかパクパク食べているのかもしれません。

人間は、“命”を食べて生きているのですから、それをまず基本に考えなければいけないと思います。しかし、なぜ鯨ばかり可愛そうだと言うのでしょうか?他の生き物は可愛そうじゃないの?

投稿: はっP | 2006.08.14 22:02

こんばんは!
最近、仏教をかじり出したのですが、人間は一人では生きられないんだぞってことを教えてくれます。生命の犠牲の上に僕らそれぞれの命が成り立っているのですよね。この事実をいつも胸に抱いて、生きていく必要がありますね。

投稿: Rhyme | 2006.08.14 22:36

みすゞさんの詩は、ほんと心が震えますね。
 自然の摂理、残酷だけれどそうやって生き延びるしかないのですよね。
感謝の気持ち忘れないようにしたいと、改めて思いました。

投稿: みい | 2006.08.15 09:07

「痛み」
誰でも持っているこころの部分ですよね。

尺度が違えばとんでもない質問になってるんですがその質問に対して獣医さんは冷静に受け答えされてますね。

金子みすゞさんの詩は情景は浮かびます。

投稿: beso | 2006.08.15 10:27

★はっPさん、
鯨は今、ミンク鯨という種類がたくさん増えていて、絶滅の危機にあるシロナガス鯨は対象外になっているそうですね。野生動物を獲って食するということを、現代生活の中でどれくらいのバランスで認めていくか・・そういう問題はとても難しいと思いますが、話し合いのテーブルに着いて冷静に話し合うことができるという文化を先に作らないといけないのでしょうね・・。

★Rhymeさん、
今通信で行っている大学が仏教系なので、一般教養に仏教思想の授業がありました。そこでインド哲学としての仏教の話を聴き、あらためて仏教の創始された当初の考え方に感動しました。
人は一人であり、また一人でないというのか、根っこは同じところでつながっているという相互依存(共依存ではなくて。Inter Beingと訳されていました。)について、考えさせられます。
痛むから、頂きますのときに手を合わせるのですよね・・・そうあらためて思いました。

★みいさん、
みすゞさんの詩は、どれを読んでも、哲学というのか、鋭い感性と、生への温かい視線も感じますね。今の時代を見て、どんな詩を書かれるのだろうか、と思うことがあります。

★besoさん、
自分の中の痛みに微笑みかける、というセンテンスが、先に読んでいた本にありました。
ところが、時にその自分自身の痛みを見たくなくて、なかったことにしてしまうこともありますね。自分の痛みを正面から見ることができたら、随分楽になると感じます・・・。
みすゞさんの詩、いつも海や自然風景の描写がいいですよねぇ・・。

投稿: pixydust | 2006.08.17 00:37

こんにちは、お邪魔致します〜。

万物に神が宿る、と云う、概念が、
自然に身に付いている、と云うコトを、
やはり、幸せに感じます。
いただきます、ごちそうさまでした、と、云う、言霊。

質問されたタレントさん、の、個人の資質や意見を、
一概に、その出身国の括りで語るのは良くない、
とは、重々承知なのですが。

平和の為なら武力を全く厭わない、好戦的な平和主義、
地球全体の警察、正義、倫理を気取る、あの国。

戦争で命が失われている、と云う言葉の中には、
殺す個人、殺される個人、がある、と云う現実。

我々が口にし血肉としている「食物」は、
「生命」である、と云う現実。

それを、想像するコト。

僕が住んでるこの国の人間は、既に、
出生率の数字から見ると、絶滅の方向へ進んでいます。

あの国が、この国へ、
疑念の残る牛肉を送り込むのなんか止めて、
この国の人間の種の保存、
にでも乗り出す日が来るのでしょうか?

投稿: はがね親父 | 2006.08.17 19:24

★はがね親父さん、
ようこそ、お越し下さいました。日々、はがね親父さんのblogで語られる言葉たちに魅力を感じている一人ですが、頂いたコメントにも感謝です。
季節的にも、過去や現在の戦争のことが話題になっていますが、それぞれの意見は別としても、戦争に負けた日本が「戦争だめ」と言うのと、勝った国が「戦争だめ」というのとでは、様々な意味で違うことを指していますね。
今のところ食物連鎖の頂点にあるヒトという種が絶滅せずに生き残るには、他の種との関わりを考えると同時に、自分達で絶滅に追いやらないようにしないと、ですね・・。
追伸:はがね親父さんのblog、リンクさせていただいてもよろしいですか?事後承諾でもいいですか?(^^;

投稿: pixydust | 2006.08.17 19:46

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