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2006年8月

2006.08.31

スカイねこ

スイカねこではありません。スカイねこです。(^^; 
だいぶ前に撮影した、大阪スカイビル・ガーデンにお住まいのネコさんたちです。
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おや?カンタロウか?・・いえ、人違い、もとい、ネコ違い。
茶トラを見ると他人(他ネコ)とは思えません。

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茂みの陰から様子を伺う用心深いネコさん。

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かなり空腹そうに見えるネコさん・・何も持ってなくてごめんね・・。

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どうやら食べ物をくれるスポンサーさんがいるようです。
その人の様子をじっと眺めながら、少しずつ近づいていくネコさん。

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あっちにもこっちにも・・スカイねこさんが低木の茂みの中から出現。
「わらわら」とはこのことかと・・。(^^;

最寄りの駅前で、鳩にパンをやっているタクシーの運転手さんがいます。
そのためにパンやさんで買っているのを見かけたこともあります。
2~3羽の鳩なのですが、きっと同じ時間にやって来るのでしょう。
ある日は非番なのか、運転手さんが私服姿でパンをやっているのを見かけました。

嬉しいのは、幸せなのは人間の方なのかもしれない・・
そんな気持ちに共感できてしまう私です。餌の是非は別としても。

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2006.08.30

かぼちゃプリンで

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少し前になりますが、頂いたかぼちゃでプリンを作りました。
かぼちゃプリンはかぼちゃ自体の甘みに左右されるので、その時々で味が少しずつ変わります。今年のは少しあっさり目。その上カップから直接すくって食べる式で作ったため、画像もこういうのしか撮れなくて・・。(^^;
え?どこかで見たことのあるカップですか?そうそう、どこのお家にも、一つや二つはありますよね?(^^;
かぼちゃプリンで一足先に秋の気分でも・・。

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2006.08.26

Flower-road@神戸

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三宮駅から海に向けて伸びているのがフラワーロードですが、演出上手な神戸市が、まさに花の道らしく整えています。確か昔は市役所前の花時計くらいしか印象がないのですが・・。そういえば、市役所のビルの最上階あたりにレストランが入っていて、夜景とジャズライブを楽しみながら食事をできるのですよ。他の市ではちょっと考えられないですね。(^^;
駅近辺の歩道に植えられた花達が素敵だな、と思うのは、その抑えた色合いです。駅歩道橋のフラワーポットなどもセンスよくカラーコーディネイトされています。060826d

夕方、講座の帰りにふと、人の流れをものともせず、写真を撮ってきました。
ふと空を見ると、ビルの形に切り取られて、それでもきちんと空を主張しているところが、いいなぁ・・と。
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2006.08.25

両手にネコ

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クーラー部屋で涼んでいると、クーラー好きのカンタロウが横の定位置でくつろぎます。
クーラー苦手で、普段は椅子の定位置で寝ているミミも、隣で「カンちゃ~ん」なんて声が聞こえようものなら、扉をカリカリ、「私も入れて~」となります。ソファーの真ん中に私、右手にカンタロウ、ミミは私の左手に。
両手にネコ。なんて幸せ。(^^;060825b


2人の微妙な緊張関係もありつつ、しばし幸せに浸るひと時です。
ちなみに、カンテのシロさんの足が魅力、とHPに写真が載っていたので、カンタロウの足も同じく太くで魅力です~と、ちょっと写真を載せてみます。ちょっと爪が出ていますが、これは緊張状態です。とがった爪でしょう?これで後ろ足の代わりになるくらいの力が出て階段も上る勢いです。060825c

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朝晩は少しだけ凉しくなりつつあり、あともう少し暑さに耐えたら、心地よい秋の夜長がやって来ます。それを楽しみに・・・。

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2006.08.24

シロに会いたい

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大阪・中津にある「カンテ・グランテ」本店へ行ってきました。
HPには、シロというネコがいると書いてあったので、会えたらいいなぁ・・というのが大きな理由の一つでありました。ちょっと変わったお店だよ、とは聞いていたのですが、確かに他の支店(梅地下店にはかれこれ28年前、泉の広場店・丸ビル店など支店はあちこち行っていました)がそこそこ変わっていることを理解していても、さすが本店、というくらい変わった感じです。場所も、人も。(^^;060823c
中津の駅から歩いて5分、住宅街の中にあって、とあるマンションの地下なのですが、探していて、目の前に入り口があっても分からない・・・なぜなら、写真のように雑草、いえ一応植えられた花達でうっそうとして看板すら見えないような状況だったからで・・。その草の間に小さな階段があって、そこを降りていくと、左右が木や草。降りきったところに赤いドアがあり、左手が雑貨コーナー、右手のフロアが喫茶。060823d
入っていいんですか?という雰囲気があり、席の案内もないので、好きなところに座ると、長髪のお兄さんが水を持ってきてくれます。060823e
なんだか、みんなけだるいなぁ・・でもそれが悪びれないので憎めないというのか。
チーズタルトとミント・チャイを注文したのですが、ミントの香りがしなくて・・あれ?と思っていると、友人が「あれ、これミントの香り・・」と言い出しまして・・つまり間違えていたのですが、まぁ、いいでしょう、何事もけだるいのですから。(^^;060823f

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ウルフルズのトータス松本さんがアルバイトをしていたというのは有名なお話ですが、トータスさんはどんな接客していたのかな?と想像しつつ、それでも美味しくチャイとケーキを食べて、時間を気にせずおしゃべりをしてきました。
レジで「ネコさんは?」とお店の、あの中では一番愛想の良い女性に聞くと、「あ、今朝出て行って、まだ今日は戻っていませんね」との返事。実はこのマダム♀シロ、色々なところに家があるらしく、寝ていたかと思うと、ふらっと散歩へ出て行くらしいのです。060823h
なーるほど・・ネコさんまでお店のコンセプトに合っているわけだ・・などなど妙に納得しつつ後に致しました。それにしても、シロに会えるかもしれない、などと思うと、また行ってしまいそうです。

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2006.08.22

原作と映画:ゲド戦記

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実はこのブログのタイトル「空飛びネコ」は本家HPのタイトルからとったもので、その本家タイトルの由縁は「ゲド戦記」の作者アーシュラ・K・ルグィンの書いた絵本「空飛び猫」から頂いたものなんです。20年近く前、私が児童文学の素晴らしさに感動したのもこの「ゲド戦記」でした。
だから、この作品がジブリでアニメ化されると聞いて、果たしてあのアースシーの世界・ゲドという人物をどのように表現できるのだろうという期待にも疑問にも似た気持ちはありました。
私自身、映画はまだ観ていませんが、試写を見た原作者のル・グィンさんがコメントを出しているのを読むと(おおよその和訳はこちら)、やはりこれは原作とは別ものの作品である、ということのようです。
それはそれで、別のもの・・それでいいのです。ただ、映画を観た人達が、原作を読んでみたくなるような作品であって欲しいと願うところです。
「ネバーエンディングストーリー」が、同じく私の好きなミヒャエル・エンデの「はてしない物語」とは全く別ものだったけれど、映画第二作が出たほどにヒットしたのであれば、きっと観客の中には後に原作を読んで、別の感動を覚えた人もあったのでしょうから・・。
今回は映画館には行きませんが、テレビで放映されるようになったら、ゲド戦記は見てみます。大好きなトトロを作ったジブリさんですものね。

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2006.08.21

始動

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8月に入ってからというもの、ますます動きが怠惰になり、「今日しなければ」と思うことがどんどん滞っております。お盆休みは世の中が70%ほど休み状態なので許されましたが、いよいよいけません。ちょっと真面目に、心を入れ替え、再始動します。(いえ、こう宣言しないと、なかなか動かないからですが・・(^^;)
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ちなみに先週は奈良へ、「大和路快速」に乗って出かけました。大阪駅を出て天王寺経由、通天閣を左に見て、王寺に着く前あたりから景色が変わり、ぐっと緑が増えます。Kobe2
この週末は大阪・神戸へ。夕暮れ時の阪神高速からは、六甲山を背景に夕陽がきれいでした。(携帯カメラで写りが悪く、すみません)
そういえば今日も箕面方面へ出かけた際、空がいつも以上にきれいでした。工場が休んでいたのでしょうね。高いところに薄雲、低いところにもくもく雲、飛行機の軌跡も、きれいに映えていました。
空も少しずつ秋への予行練習をしているのでしょう。 
私も夏休みぴんぼけ状態から脱出・・できるでしょうか。(^^ヾ

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2006.08.17

37.8度

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昨日大阪では最高気温37.8度だったそうです。体温ではありません。(^^;
お盆も終り、少しずつ仕事モードに戻られる方もあり、いえいえずっと仕事でしたという方もあり、それぞれに暑い時期を色々なところで過ごされたことと思います。ちなみに我が家では帰省する故郷もなく、ひたすら家にいながら、昼間はちょっと仕事にも出かけるという日々でした。
我が家のカンタロウは定位置となったソファーの真ん中を占領し、伸びております。お尻の絆創膏は、後ろ足が動かないため床をすって歩き、皮膚が弱くなって傷になって、またそこをどこかにぶつけたらしくて出血しているところへの手当てです。暑さで蒸れるせいか、なかなか傷口がふさがらず、かわいそうですが、せめて蒸れ難いようにと、クーラーの部屋に。で、カンタロウはクーラー好きとなりました。(^^ヾ 
ミミ(白い方)はクーラーが苦手で、他の部屋で寝ておりますが、ときには家族のいるクーラー部屋に彼女もやってきて、こうしてカンタロウを撮ろうとするカメラの前に寝そべります。(^^;060816a

庭ではブドウが実っていますが、カラスやスズメのジュース代わりになっています。特にスズメは、とても美味しそうにブドウをついばみ、暑さの中のしばしの水分補給をしているようです。
皆様も、どうか水分補給を忘れずに、あと少しの暑さピークを乗り切られますように・・(^^)060816c

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2006.08.13

痛み

今日のテレビ番組で捕鯨のことが話題になりました。
調査捕鯨に参加している獣医さんに対し、アメリカ人タレントさんは問いかけます。「鯨を殺すとき、心は痛まないのですか?」と。捕鯨の賛否は別として、この問いには哀しくなりました。

鯨に限らず、人間は他の生き物の命をもらって生きているわけで、それらが最初からパックされてスーパーに並んでいるわけでないことは、誰でもが分かっているはずです。たまたま私たちは、その生き物の命を絶つ仕事を担当していないだけです。「○○の命を食べるとき、心は痛まないのですか?」と問い返したら、このタレントさんは何と応えるのでしょう。

先の質問に、その獣医さんは静かに応えます。「それは、痛みますよ。」
たとえば、金子みすゞさんの「鯨法会」という詩のこころのようなものも、この獣医さんは受けとめた上で今の仕事をされているのだろう・・そう感じさせる問答でした。  

「鯨法会」  金子みすゞ060813_1

鯨法会は春のくれ、
海の飛魚 採れるころ。

濱のお寺で鳴る鐘が、
ゆれて水面を わたるとき、

村の漁師が羽織り着て、
濱のお寺へ いそぐとき、

沖の鯨の子がひとり、
その鳴る鐘を ききながら、

死んだ父さま、母さまを、
こひし、こひしと ないてます。

海のおもてを、鐘の音は、
海のどこまで、ひびくやら。

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2006.08.11

パイレーツofカリビアンⅡ

part1で観たジョニー・デップ演じる海賊ジャック・スパロウがなんとも魅力的だったので、今回のpart2は観なければと思って行ってきました。感想は?うーん、part1の方がメリハリがあって面白かったというのが正直なところ。これは同時撮影された最終章へのつなぎとなる作品らしいと聴いていたので、そういう終り方だろうとは覚悟していました。ディズニー独特のエンターテイメントはありました。今回はまさにディズニー色がはっきり出ていた、いやちょっと出すぎ?という感じです。終っての娘の感想「当分タコは食べられそうにない・・」そうです。(^^;それとそのタコ・キャラクターが「みのもんた」さんに似ているとも。みのさん、ごめんなさい。(^^;
写真は、頂き物のアロエ・ベラ。アリゾナからのお土産で頂き、鉢に植えたら、元気に育っています。060811

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2006.08.09

春巻きと呼吸

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最近の読書・・先日のスクーリングの流れで「学力論争とはなんだったのか」という本を読了しまして、そのため途中になっていた本を再開しています。「禅的生活のすすめ」(ティクナット・ハン)。全く関係のない本たちのようでいて、読んでいくうちに、どこか通じているようにも感じられます。060809a
さて、その禅的な生活の第一歩とは・・?意識的な呼吸であり、意識的な歩行であると書かれています。
<意識的な呼吸とは、息を吸ったときに自分の体内に空気が入ってくるのを認識し、息を吐いたときに自分の体内から空気が出て行くのを認識することです。自分の身体と空気との接触に意識が向けられた瞬間、私たちは自分の意識とも接触し、それがどういう状態にあるかを知ります。意識的な呼吸を1回するだけで、自分自身にも、自分の周囲の世界にも触れられます。そうした意識的な呼吸を繰り返すたびに、心身の安らぎが戻ってきます。>とあります。060809b
あとは歩くことについても、同じように述べられています。呼吸は瞑想、歩行も瞑想・・これらがつまり、普通に行われることすなわち瞑想であるということなので、ためしに呼吸を意識してみました。無理やりに深くでもなく浅くでもなく、普通に吸って吐くのですが、これがまた、意識すると結構おかしなリズムになってしまいます。
でも、確かに息を吸うと、自分の体内に外界の空気が入るのだ・・と、新鮮な気持ちになれたのも事実です。そこで、いつもいつもというわけにいかないので、台所に立ち、料理をする間に数回、呼吸を意識するところから始めてみました。これが結構、落ち着くものだということを実感しつつ、ひたすら春巻きを巻いていた私でした・・。
なお、禅の味は伝わるのかな、と想いつつ見ていると、みんなあっという間に平らげてくれ・・・嬉しいやら、あっけないやら。(^^;

写真は昨日に続き、庭の日々草などの花と空の写真、第二弾です。

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2006.08.08

残暑お見舞い

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残暑お見舞い・・になるのですよね。
大阪では暑い中でも今日は風があります。台風の影響ですね。
甲子園での熱闘、台風情報、流れの速い雲、伸びきったネコたち・・夏、いえ、残暑の象徴です。060808b
人間も、ちょっと時間があるとなると、こうも怠け者になるのかと自戒です。
カードの手続き変更、仕事用書類作成、連絡、手紙・・さっさとすれば済むものを、なんだか熱帯に住む動物のようにスローな動作で逃げております。(^^;
お盆休みに突入の方もそうでない方も、残りの暑い日々、お元気でお過ごし下さいね。060808c

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2006.08.03

パパ・お父さん・親父

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今朝のテレビで、奈良の放火事件の父親の手記が報じられていました。その中で父子の会話がそのまま紹介され、父親は自分のことを「パパは」と語り、息子は「パパ」と呼んでいたことに対して、ある「熱血先生」と呼ばれる男性がコメントをしていました。「16歳の少年が父親をパパと呼んでいること自体が非常におかしい」と。
が・・こういう言い切りができるって、どういう根拠なのかと少し疑問でした。事件を起こした当事者には反論できない、つまり何を言われてもただ「私が悪かった」と応えざるを得ないということを考えても、このコメントは罪びとに石を投げつけるようなもののように感じられました。
人の呼び方は、その集団で立場の弱い人に合わせる傾向にあるという話を聴いたことがあります。つまり、家庭内で一番幼い孫から見て「おばあちゃん」であれば、たとえ息子でも母親を「おばあちゃん」と呼ぶというように。
この先生の家庭の中では、「お父さん・お母さん」という言葉は思春期以降使わないのかな?とも・・。
「パパ・ママ」という表現自体に抵抗のある人も多いのかもしれないけれど、幼児が最初に話すカタコトが「パパ」や「ママ」であって、そのままそれが呼び名になることも多く、この奈良の家庭にまだ幼い子がいたことから考えても、そのままみんなの共通語としてあった呼び方だったのではないのかなと感じるのです。「お父さん」の代わりに「パパ」と呼んでいただけなのだとしても、おかしいということなのでしょうか・・。
息子が父親のことを面と向かって「おやじ」と呼ぶのって、私の感覚では随分あとのような気がするのですが、それは地域や言葉の違いも大きく影響しているのかもしれないですね。それに照れくさくて「おやじ」と言うこと自体も少ないようにも感じます。だから「お父さん」⇒「おじいちゃん」と直接飛んでいく傾向も強いのかと。
もちろん、家で「お父さん」と呼んでいる人も、第三者の前ではそれこそ、「父」「父親」「おやじ」「おとん(関西の表現)」場合によっては「あいつ」とか(^^;、色々な呼び方があると思うのですよ。そこで「パパ」とか「お父さん」と呼べば、それは敬語の使い方の間違いであり、幼児語であると言われても仕方ないとは思います。
幼い子どもの頃の関係に戻って、もう一度父子の関係を結びなおすことを考えると、2人きりのときには「パパ」でいいじゃないですか、もっと成長できて、その言い方に照れが出るようになるまでは・・。と感じた私でした。
(写真はちょっと前に咲いていた芝桜です。季節外れですみません。最近写真を撮れなくて。)

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