親の思いと子どもの思い
AくんとBくん兄弟の場合・・
A君・第一子は期待が高い分、いわゆる「いい子」でいることを決断(「幼時決断」=子どもであるな)し、B君・末子は反対にいつまでも子どもらしく「幼い子」でいることを求められているようです(「幼時決断」=成長するな)。
何番目に生まれるかによって違うって、それを子どもなりに理解するまでには、また子どもなりに理不尽な思いも経験することでしょう。例えば親が高齢化し、子どもが互いにいい大人になっても、まだそれぞれの役割を演じなければならないものかと・・・それほどに親の心の所在の重さに(幼時決断にも)気付くときがあります。
「出会いにはそれなりの意味がある」という言葉を借りれば、どんな意味があるかを考えた上で、自分ではどう生きるかを決めることが「再決断」ということになるでしょうか。親子関係だけではなく、今日の普通の出会いにもなんらかの意味があるかもしれない・・と思うと、この出会いにある意味や課題は何か?などと考えている今日この頃です。
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