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2005年10月

2005.10.29

35年

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「こんにちは、こんにちは・・♪」の万博から35年。051029c
皆さんはいくつでしたか?あ、まだ生まれていない方もあるかもしれませんねぇ・・・。(^^;051029b

1970年のコンニチハから、丁度今年で35年。愛知万博も開かれ、「万博」という言葉が久々に脚光を浴びた年でもあるかもしれませんね。写真は、万博公園内の工事中の壁に貼られた、当時の写真です。お祭り広場には、世界中の人が集まってオープニングセレモニーがありました。確か、私はそれを、札幌の自宅でテレビを通して見ていました。その後初めての一人旅で大阪へ。祖父母と叔母の家に泊めてもらい、万博には独りで3日間くらい通いましたっけ・・・。そういえば、祖母が京都嵯峨から茨木市あたりまで送ってくれました。懐かしい思い出です。
だから、当時、撮った写真は「月の石」とか、「太陽の塔」とかで、私は一つも写っていなんです。帰ってから両親にえらく呆れられたものです。(だって、人に撮って下さいと頼めるほどの勇気は、当時の私にはなかったんですよねぇ。)051029d

足を棒のようにして歩いた会場も、今は自然のような風景に。この前は、千里丘陵・・竹やぶだったんですよね。当時の開発の様子や、閉幕後の変化も写真展示してありました。「人間洗濯機」「テレビ電話」・・懐かしいですよね?(ご存知の方は(^^;) コンパニオンの制服もありました。だいぶ古くなっていましたが。あ、そうそう、そういえば、私の会社の同期は、このコンパニオンをしていたと言っていましたっけ・・・いえ、私よりだいぶ?年上ですよ・・(^^)
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2005.10.25

おへそ

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何か果物や野菜のおへそみたいに見えないこともないですが、ハスでした。(^^)
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ハスが並んでいる池の真ん中あたりに立つと、まるで極楽か・・。そんな気分になるから不思議です。日本人の宗教観というのか・・。(^^; 051025b
クッションみたいにも見えてきて、思わず座りたくなるような心理は分かるような気がします。 いつだったか、ベトナムを舞台にした映画を観たときには、ハスの花を川に流している場面が美しく、印象に残っています。
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2005.10.24

一足お先に

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全ての葉が紅葉するまでには、まだ間がある、こんな心地よい季節。一足お先に、と黄葉したところがアクセントカラーみたいになって美しいです。
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日曜日に初めて担当するジャンルのセミナーがあり、久々に徹夜で準備。(^^;いえいえ、決して熱心とか、真面目とか、そういうのとは違います。追い詰められてぎりぎりのところでする、という、いつもの私の悪い癖です。(^^ヾさすがに夜10時が限界で、今朝9時まで寝てしまいました・・・久々の休日。
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この脱力感が幸せですが、今日の夕方になると、また明日が見えてくるんですよね。(^^;まるで、海外旅行に行った帰り、日本の空港に着陸する寸前みたいな、あの気持ちに近いものがあるでしょうか?(^^;
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2005.10.21

今年もホトトギス

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ざっくりと刈ってしまったので、今年はどうかと思っていたホトトギスが咲きました。(^^)元気な花ですね。
毎年写真に撮りますが、今年のは奥にピントが当たってしまいました。(^^ヾ
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今日は夕方から奈良斑鳩の里へ。(仕事です。(^^;)帰りに空を見上げると、月がとてもきれいだったので、心に残りました。空気もきれいだったのでしょう。でも、帰宅して見上げてもそこそこきれいでしたから、さすがは秋の空ですね。暗闇の玄関で、見えなくなるまで見送ってくださった方達の姿が、後ろの電気で浮き上がり、月と一緒に心に残っています。(^^)

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2005.10.19

一流?

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今日は早朝の仕事を終え、ある方にプレゼントするチョコレートを買いに、梅田へ寄りました。
梅田はハービスEntにある有名なチョコ屋さんです。そこのチョコレートは高いのですが、味は保証つき。自分用にはなかなか買えませんが、誰かにもらうと嬉しいものというような位置づけでしょう。

まだ時間が早く、店内のイートインにはお客様が一組ほど。そこへ、ほぼ同時に私と他の女性が店内へ。チョコを買うためです。お店に入ると、チョコのカウンターに、まるでシャネルの制服みたいなのを着たきれいな女性の店員さん。その横のレジのところには、同じくホテルマンのような黒い制服の男性。暇そうです。

他の女性に、女性店員の人が対応しています。私の2メートル先には、レジの前でメモのような作業をしている男性。買うものは決まっていたので、男性に小さな声で「お願いします」と言いました。聞こえないのでしょうか、返事がありません。もう一度言うと、接客中の女性店員さんが「少々お待ちください。」と制します。たぶん、その表情の中には「男性店員は作業中です。今私は接客中で、あなたは次だから待ちなさい」というメッセージが読み取れます。うーん・・・これだけ暇な店内で、待つお客様が出ることに違和感はないのでしょうか?

本当の一流店というのは、品質に加えて、温かく適確なサービスを提供できるお店のことでしょう。知名度ではありません。 残念ながら、このお店では、チョコだけが一流でした。
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帰りに、お腹がすいたので、「揚子江」のラーメン500円也を食べて帰りました。庶民的だけれど、笑顔とスピードのサービス、こっちの方が気持ちよかったです。(^^;

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mixi

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ひょんなことから、mixiなる世界に足を踏み入れました。(^^)
息子がじっと見つめていた画面がmixiのトップだったので、知ってはいたのですが、どういう作りになっているのかがまったく分からない状態でした。要は、特定の人たちで作るパティオ(古い)というのか、そんな感じのサイトです。
051019bたまたま昔、niftyのフォーラムでご一緒だった方達が、昔の雰囲気で会話されているので、それほど違和感がないのですが、なにせ「若者の世界」と思っていたものが、あっという間に身近になって、戸惑っています。(^^;

明日は朝一番で30分、短期集中で話をしなければならないのですが、緊張するあまり、その準備から逃避したくて、mixiの世界を放浪しておりました。今から、仕事、仕事。(^^ヾ
写真は、ホテイアオイ。きれいな紫ですよね?

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2005.10.17

キョロちゃん

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小さいころから、チョコボールの「銀のくちばし」や「金のくちばし」がでないかと思いながら箱を開けていた記憶、みなさんにはありませんか? 銀のくちばしは大体2つくらい集めて、どこかへなくしてしまうことも多かったような・・。先日、家庭教師をしているところへいったら、キョロちゃんがいるではないですか!ゴンチチのライブへ行ったときに、ゴンザレス三上さん(たぶん、ほとんど近い年代)が大事そうに舞台の上で見せびらかして?いたのを見たことはありました。でも、実物を近くで見るのは初めてで、思わず感激。(^^;今も昔も、キョロちゃんの人気は健在ですね。(^^)

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2005.10.15

心理テスト

ちょっとした心理テストです。(^^)
「あなたは草原を歩いています。そうすると、向こうから何か動物がやってきます。それはどんな動物ですか?また、どんどん歩いていくと、次にまた動物に出会います。それはどんな動物ですか?それから更に歩いていくと、またまた動物がやってきます。それはどんな動物ですか?」

さて、それぞれ、どんな動物に出会いましたか?
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一番最初に出会った動物は、自分の理想を示すとか。
二番目は他人の目からみた自分、三番目は本来の自分だとか。
人から聞いたものですから、根拠はよく知りません。(^^ヾ
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こういうゲーム感覚の心理テストがどれくらい当たっているかは分かりませんが、自分の賛同できるもの、
嫌いなものの中に、自分の心が映し出されることはありそうですね。

「防衛機制」という心の装置をチェックする時も、こんな風に何気ない他人事を聞いて、何か心がざわつくものはないかを見るのですが、自分で体験してみると、思いもつかないような本来の欲求や感情が見えたりしました。
「(自分自身に対して)隠しておきたい感情があればあるほど、ムカッとしたり、イラッとする」というチェック方法は、ちょっと心に痛いですから、元気なときに・・・ですね。(^^;
写真は、万博公園の「コガマ」です。

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2005.10.11

16歳の誕生日

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写真のネコは今日で16歳。姉のところの猫:ラブです。
実は、お母さん(姉)が現在入院中で、寂しく一人でお留守番をしています。
「水道の水をチョロチョロ出してやると、おいしそうに飲むのよ」という言葉を思い出し、ためしにしてみると、飲んでくれてほっとしました。
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肝臓にカテーテルを入れる手術をしたのが7日なのに、10日には無謀にも無断で抜け出して、ラブに会いに行った姉。(共謀したのが我が家の家族(^^;)「この子の命の限りは生きてやらなくちゃ」なんて言う姉に、かける言葉は見つかりませんが、留守の間、毎日顔を見に行ってあげるね、と。

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母が亡くなり、その後に出会った姉ですが、母も姉も生い立ちが似ているので、私には不思議に強い縁というのか、遺伝子レベルの驚きというのか、なんともいえないめぐり合わせを感じます。
姉もラブちゃんも、元気でいてね・・・と祈りの人になっていたい私です。

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2005.10.08

V字の空

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プラタナスの木々が大きく成長し、今では空がV字型になっています。(^^)
万博公園の空です。子ども達が小さい頃には、確かこの空がH型というのか、もっと並行に見えた記憶があります。日向の多かった歩道も、今ではこの木があるおかげで、日陰が倍増?涼しくなりました。(^^)

さて、このところ公私共に色々な出来事があり、良くも良くなくも、刺激的です。(^^ヾ
でも、思うに、何かマイナスの出来事があるたびに、自分自身のモラルが試されているような気がして、ハッとすることがあります。それって、ある意味マイナスをプラスに転じるヒントかもしれません。

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2005.10.04

片想いって

・・・ないですよ、と言われました。いえ、恋愛とはちょっと違うかもしれない・・お話です。(^^)
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「片想いって、ないですよ・・片方が好きだなぁと思ったら、大概相手も好きだと思ってくれてますよ・・・」とは、私の好きなNさん(あ、女性です(^^;)の言葉。 男女のことではなくて、人として、というおはなし。
先週、仕事でご縁のあった男女数名の方と再会しました。そのメンバーで集まるのは1年3ヶ月ぶりです。私は、基本的には苦手とする人はあまりないのですが、「好きな人」となると、そうみんなということではありません。(^^;
その人たちは、好きな人たちです。ですから、今回声がかかったことそのものが、とても、とても嬉しいことでした。
「自分が好きだと思う人から、同じく好きでいてもらえるって、すごく幸せなこと・・」と話したら、Nさんの先の言葉だったというわけです。(^^) こういう性別を越えた両想いの関係って、仕事や友達との付き合いの中にも意外とありますよね。
夫婦や恋人の場合、「人間愛」+「男女の愛」になるんでしょうけれど、結局ゆくゆくは「男女の愛」はなくなっても「人間愛」が残れば夫婦は継続できていくのかな・・いやいや、基本的に人として好きであるって、結構選択肢が厳しいところもあるかも・・待てよ、ひょっとして「男女の愛」だけで始まっていて深まりがなければ・・などなどと連想しつつ、しみじみと考える秋の夜でありました。(^^ヾ

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2005.10.02

秋を

見つけてきましたよ。(^^)

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まだまだ暑いと思っていた9月も終わり、大阪の万博記念公園で、まだ遠慮がちの秋を感じてきましたよ。木陰の風は心地よく、日向はまだ少し暑い、でも顔をしかめるほど(^^;ではない程度の季節。気付けば120枚以上の写真を撮っていました。ちょっとの間、ブログの素材には困りません。(^^)・・それにしても、雪が降るんじゃないかというくらい、久々のウォーキングでした。(^^ヾ
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2005.10.01

憂いの傍ら

写真の花は、庭のローズマリーです。こういう小さな薄いブルーの花も大好きなのです。ハーブは特に、その香りに癒されます。050930

シスターの渡辺和子さんの著書は、今の仕事に出会った直後、偶然本屋さんで見つけました。かれこれ15年以上昔のことです。「愛を込めて生きる」「美しい人へ」など、HPの本のコーナーにも紹介していました。
今日、その渡辺和子さんの講演を聴くことができました。聴けるようになったのも、研修で伺っている病院の担当者の方が入院され、そのお見舞いに「愛を込めて生きる」をプレゼントしたところから、偶然「来月この病院に講演に見えますよ」ということを教えてもらったからです。それ自体が共時性というのか、ご縁を感じました。
さて、そのお話の中で、「優しいという字は、憂うという字に人偏ですね。自分の憂いの傍らに佇んでいる人の姿です。」という言葉が、とても印象に残りました。憂いの傍らいにいながら、他者の傍らにいられるのは、強さでもあります。優しさと強さは、対極のものではありません。」ということも言われました。
カウンセラーとしての学びをする中で、自分自身の防衛機制(心の痛みを自分で感じないように自分で蓋をする心の働き)を見つめるという出来事がありました。目の前のことに、どうして自分の心がザワザワするのか。それを見つめる作業・・それはそれは、因幡の白兎みたいな体験でしたが、そのときに流した涙は、まるで、小さな子どもが思い切り泣いて、泣き疲れるまで泣いたあとの、あのすっきり感に似たものがあって、丸ごと子どもの自分がいました。この体験と、渡辺シスターの「憂いの傍ら」という言葉が、なにかすっきりと結びついたような今夜でした。

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