命の授業
スクーリングで教育学関係の授業を受け、そのクラスで一緒になった人に聞いた本です。私の通っている大学の先生が書かれた本だったので、生協で早速買ってきました。『豚のPちゃんと32人の小学生』・・テレビでも一時話題になったので、ご存知の方も多いかもしれません。三年間、クラスで豚を飼い、卒業のときにどうするか・・・話し合った結果、16対16で、「下級生に引き継ぐ」「食用として引き渡す」に分かれ、最後の一票を担任の先生が投じた、というお話です。結果、卒業式の三日後、食用としてPちゃんは引きとられていきます。
帰りの電車で斜め読みし、思わず泣けてしまいました。小学生の子達の、必死の話し合い・・・担任の苦悩・・。
私の息子が幼稚園のとき、『三匹のこぶた』を読みました。その後のある日、夕食にトンカツだったかを出しました。4歳の息子が、これは?と聞くので「豚さん」と答えると、「かわいそう・・」と絶句。そこで私は、はっとさせられたものです。
動物大好き、動物を助けたくて獣医を目指して三浪し、やっと獣医学部に入ったら「家畜の処分の仕方」を繰り返し繰り返し実習する場面に、とうとう途中で退学したという人の話を聞いたこともあります。
私たちが動物の肉を食している限り、必ずそれをそのような形にする過程を担う人がいます。marさんのHPの「本日の駄文:7月5日分」にも、同じような心情が書かれています。 生き物の命を頂いて生き延びているわたし達が、その過程を担ってくれる人への感謝も込めていかなければ・・と、あらためて感じます。
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コメント
pixydustさん、こんばんは。
お話を読んでいて、“合鴨農法”のことを思い出しました。
合鴨農法で、田んぼをやっている農家では、合鴨を飼って、田んぼのメンテナンスをしてもらい、収穫を迎えるわけですが、毎日共に暮らしてきた合鴨を最後には、“食べて”すべてが完了するんだと聞きました。
田舎暮らしを始め、合鴨農法を実際にやって、子どもたちもすっかり合鴨と仲良くなり、最後にその日がやってきて、お父さんが泣きながらしめて、そのときに、合鴨に泣き顔を見せてはいけないと農家の人に叱られ、感謝しながらさばき、収穫したごはんといっしょに食べ、合鴨に感謝して食べろと言われた子ども達が泣きながら食べると、ものすごくおいしくて、ますます泣きながら食べる・・・という話でした。ラジオで聞いたのですが、たしか本になっていると聞いた覚えがあります。うろ覚えですが、その泣きながら食べるシーンがまだ心の中に残っています。
ほんとうはどんな話だったのか、もう一度確認したいような気持ちになりました。
人間の生活と動物はきってもきれないものがあるわけですが、動物を食べなければ生きていけないのも人間です。
そして、地球のあらゆる資源をも食いつぶしていくのが人間です。動植物を食べるとき、資源を消費するときには、感謝の気持ちを忘れずにいたいものです。
投稿: はっP | 2005.08.11 22:52
はっPさん、こんにちは
夏休みでしょうか?
合鴨農法は、私も以前から無農薬のお米や野菜を注文するお店の情報誌で読んで知っていました。冬前になると、「合鴨農法の鴨肉です」というカタログの文言が目に入り、思わず「そうか・・そうだよね・・」と、一人で納得しつつ、ため息をついたことがあります。
ダッシュ村の合鴨は、代々大切に飼われているようで、テレビではそういう流れにはしないのだなぁ・・とも、以前から思っていました。
食事の時には手を合わせて、「頂きます」と言う言葉を発することの意味が、ますますずっしりと来ますね。「もったいない」という言葉も。
投稿: pixydust | 2005.08.14 14:14