昨日に続いて「敬語」のことです。
「見れる・見られる」について。
waiwaiさんのところのブログで話されていた「見れる」について、
「言葉に関する問答集」を見てみました。
【「見れる」の他にも、似た例として「着れる」「出れる」「寝れる」「来れる」などの言い方があり、さらには「起きれる」「投げれる」「食べれる」などの言い方も最近よく耳にするが、いずれも従来は間違った用法とされ、それぞれ「見られる」「食べられる」が正しい言い方とされている。
国立国語研究所の昭和三十年度のアンケート調査では、「見られる」が絶対多数であった。
しかし、見れる・来れるなどの言い方は、話し言葉としては昭和初期から一部に使われており、大2次世界大戦後はさらに一般化し、最近では話し言葉だけでなく、書き言葉としてもぼつぼつ使われ出している。
ちなみに、川端康成の『雪国』の中にも「よそを受けちゃった後で、来れやしない」と書かれた一節がある、と一部の国語辞書には書かれている。
「見れる」「来れる」などの言い方がますます一般化している現象は否定できないとしても、
まだまだ標準的な言い方として位置付けられる段階にまでは至っていないように思われる。】(要旨)
書いてあることをまとめると上記のようになりますが、それにしてもこの本は、何がいいたいのか、良くわからない本です。(^^;すごく無難な線をいくのが特長だということはわかりました。(その割には、言葉によって、少し判断基準が違っているような気がするのは、少ない委員さんで問答集が書かれているからなのかもしれません。これも私見ですが。)でもまぁ、「話し言葉にはよくあったことだが、書き言葉として使うのはまだ抵抗がある」、というのは分かる気もします。
サービス業として言葉遣いを考えるときには、このような言葉の変化を不快と感じるお客様の立場で考えると、やはり「見られる」という話し方をしています。
それにしても、カンタロウの表情、結構かわいいでしょう?(^^ゞ
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